相生座のあゆみHISTORY Ⅰ

市川猿之助と相生座 文:三代目市川猿之助(岐阜新聞社「美濃の地歌舞伎」より)

一 出逢い | 瑞浪にいた「かぶき者」

小栗克介さんとは私が三代目を襲名した昭和38年ころからのおつき合いになりますね。いつの間にか親しくなっていて―。 わりとズケズケ言っていただく、それがまた面白くて的を得ているのですね。そしてやられることが大きい。「かぶき者」の言葉ぴったりの人ですね。 私の地元に面白い地芝居があるから一度見に来られませんかという話になり、初めて瑞浪市日吉のゴルフ場を訪れました。昭和48、9年ごろでしょうか。まだ相生座が移築される前で、テント張りの舞台で<熊谷陣屋>とか<安達ヶ原三段目>が演じられました。それがとても面白かったのです。

写真は手前左から猿之助丈、浄瑠璃師の双葉太夫、市川段四郎丈と小栗克介氏(相生座にて)

大歌舞伎よりずっと面白かった「安達ヶ原三段目」

<安達ヶ原三段目>は私が高校生のころ小芝居(かたばみ座)で見たことがあったのですが、当時、大歌舞伎では余り演じられなかった演目で、その後も大歌舞伎ではしばらく演じられませんでした。後に大歌舞伎で「復活」があり、ひさびさに上演されたものを見ましたが、面白くありませんでしたね。小芝居で見た芝居の方がずっと面白かったのです。その小芝居の型が瑞浪の地芝居に残されていたのです。

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